連続テレビ小説(朝ドラ)第102作『エール』は、昭和の時代に数々の名曲を生み出した作曲家とその妻の心温まる物語です。
明治42年に福島にある老舗の呉服店の長男として生まれた主人公の古山裕一(窪田正孝)は、音楽に出会い、独学で作曲を始めるが、実家の後を継ぐか音楽の道に進むかで迷います。
そんな時、歌手を目指す関内音(二階堂ふみ)と音楽に導かれるように出会い結婚し、音と二人三脚で作曲家として数々の応援歌(エール)を生み出していきます。
日本初のオリンピックが開催された1964(昭和39)年10月10日。
東京の国立競技場で古山音(二階堂ふみ)は夫・古山裕一(窪田正孝)を探していました。裕一は、自らが作曲した『オリンピック・マーチ』が開会式で演奏される緊張に耐えかねて、トイレに1人閉じこもっていたのです。
裕一を見つけた音が励まします。警備員にも「先生の曲に生きる希望をもらった」と声を掛けられ、夫婦は大観衆があふれる開会式の会場へと足を踏み出します。
1964年の東京オリンピックが迫る中、作曲家・古山裕一(窪田正孝)は、開会式で演奏する行進曲の作曲という大役を任され、頭を悩ませていました。そんな中、庭で掃除する妻・音(二階堂ふみ)の美しい鼻唄を聞きながら、メロディーラインを閃いた裕一。
「東京オリンピックマーチ」がついに出来上がりました。
1964(昭和39)年10月10日 東京オリンピック開会式当日。
裕一の母校である福島信夫小学校では、教室にテレビを置いて、生徒たちが開会式の開幕を今か今かと待ちわびます。裕一は、この母校の校歌も作曲して寄贈していました。作詞は、裕一の幼馴染・村野鉄男(中村蒼)です。
一方その頃、裕一はというと、極度のあがり症のため、オリンピックの開会式という晴れ舞台に怖気付き、トイレでずっと嘔吐(えず)いていました。
音が、しっかりしなさいと喝を入れても、あまり効果がありません。そんな中、長崎出身の警備員(萩原聖人)がやってきて、声をかけました。
「戦争で親や親戚が亡くなってしまいました。そんなとき、生きる希望を与えてくれたのが、先生の『長崎の鐘』です。先生の曲は人の心を励まし、応援してくれます。。今日は先生の晴れ舞台、どうか会場へ!」
この言葉に背中を押された裕一は、音とともに開会式の会場へ
と向かったのでした。
そんなオリンピックの行進曲まで手掛けるようになった作曲家・古山裕一が生まれたのは、1909(明治42)年2月8日。
絹産業が盛んな福島市内で老舗呉服屋「喜多一(きたいち)」を営む4代目店主・古山三郎(唐沢寿明)の長男として誕生しました。
三郎は、待望の長男とあって、生まれるやいなや、歓喜の声を上げながら近所中を駆け回ったのでした。。
感想
初回、いきなり紀元前一万年から始まってかつてない、朝ドラの演出でしたね。
窪田正孝さんのフラッシュモブなプロポーズ、踊りもキレキレでした。
いつの時代も音楽があるからこそ乗り越えられる・・・
そんな思いを連想させるドラマになりそうです。
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